最終更新日:2026-09-14
ロックアップで縛れること、縛れないこと。売り手の所長を雇用関係で残すときの注意点
売り手の所長がクロージング後も一定期間関与し続けるという取り決めは、ロックアップ(キーマン条項)と呼ばれます。期間の目安はM&Aはどれくらいかかるかで、その期間に売り手が実際に何を担うのかは「1年間残ってほしい」と言われたらで扱いました。
この記事で扱うのは、その手前にある問いです。3年残ると約束したとして、それは守らせられるのか。
先に結論を書くと、次の2つになります。
- 本人が抜けると決めたとき、留まらせる手段はありません。どの形で残っても、法律が抜ける道を用意しています
- 買い手に雇用される形で残る場合は、抜けたときの違約金も定められません。労働基準法が禁じているためです
抜けること自体は、どの形でも止められない
ロックアップは有効な約束なので、守らなければ債務不履行になります。ただし、事務所に出てきて顧問先に同行するという行為を、本人の意思に反して実現させることはできません。人の労務の提供は、裁判所を通じて強制するのになじまないためです。
そのうえ、離脱そのものにも法律上の道が用意されています。
| 残り方 | いつ抜けられるか |
|---|---|
| 買い手に雇用される | 期間の定めがなければ、申し入れから2週間で終了する(民法第627条第1項)。期間の定めがあっても、やむを得ない事由があれば直ちに解除できる |
| 業務委託として関与する | 準委任型であれば、各当事者がいつでも解除できるのが原則 |
| 税理士法人の社員として残る | 事業年度の終了時に退社できる(6か月前の予告が必要)。やむを得ない事由があるときはいつでも |
雇用については、会社が退職を認めなかったとしても民法の適用は妨げられず、申し入れから2週間で契約は終了する、というのが一般的な説明です。ロックアップの期間を長く設定しても、それ自体は「抜けられない」という意味にはなりません。
税理士法人の社員として残る形だけは、予告期間と事業年度末という区切りが効きます。ただし社員になると税理士法上の競業禁止がかかり、個人事務所で税理士業務を続けられなくなります(税理士法人を引き継ぐ場合の要件と届出)。
雇用として残す場合は、違約金も定められない
残ってもらえないなら、せめて金銭で手当てをしたい、という話になります。ここで形態による差が出ます。労働基準法第16条は、こう定めています。
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。
前所長を買い手の従業員として残す設計にすると、早期に辞めたことへの違約金という形の定めが置けません。実際に損害が生じた場合に賠償を請求すること自体は妨げられませんが、金額をあらかじめ決めておく手段が使えない、ということです。
準委任型の業務委託や税理士法人の社員として残る場合は、労働契約ではないので同条はかかりません。金銭で手当てできる範囲は、雇用がいちばん狭いということです。ただし他の形なら自由に縛れるわけでもなく、光陽国際特許法律事務所は、準委任型の業務委託について、契約書に解除権を放棄する旨を明記するなどの事情がない限り各当事者は解除できるとし、違約金も内容によっては減額され得るとしています。
譲渡対価の返還に置き換えても、同じ壁がある
雇用で違約金を置けないなら、譲渡契約の側で「早く辞めたら対価の一部を返す」と定めればよい、という発想が出てきます。ここは注意が要ります。
分かりやすいのが、会社の費用で社員を留学させ、一定期間内に辞めたらその費用を返させる、という条項です。名目は費用の返還でも、中身は一定期間勤めることを約束させ、破ったら金銭を負担させる形になります。弁護士法人クラフトマンの解説では、業務命令として行われた留学であればその費用は本来会社が負担すべきものだとして、無効と判断された例が挙げられています。
先に受け取った譲渡対価を、早く辞めたら戻させる設計も、同じ形です。同解説は、労務の提供に先立って経済的な給付を与え、一定期間働かなければ返還させることで拘束する仕組みを経済的足止め策と呼んでいます。労働契約に付随して合意された特約についての違約金も無効とされた例が挙げられており、別の契約書に移せば済む話でもありません。
何を引き金にするかで評価は変わり得ます。引継ぎ協力の義務は譲渡契約側に置かれた義務なので、その未了を事由とするのであれば、労働契約の不履行とは別のものとして構成する余地があります。ただし、この整理が争いになったときに通る保証はありません。
期間の長さではなく、その期間に何を渡してもらうかで決める
ここまでを踏まえると、売り手と買い手のそれぞれに、期間の長さより先に見ておくべきことがあります。
売り手としては、法律上抜けられることと、抜けても不利益がないことは別だと考えておくことになります。抜けた場合に対価がどれだけ戻らなくなるのかは契約次第なので、そこを見ないまま期間だけを受け入れると、実質的な拘束は契約書の期間より重くなります。
買い手としては、長い期間を設定しても守られる保証にはならない、というところから始めることになります。前所長が抜ける判断をしたとき、手元に残るのは金銭の請求だけで、顧問先との関係が引き継げていない状態は解消されません。期間の長さより、その期間に何を引き渡してもらうかを具体的に決めておく方が確実です。関係が実際に移ったかどうかの見方は所長依存度で扱っています。
まとめ
- ロックアップは有効な契約条項だが、本人が抜けると決めたときに留まらせる手段はない。どの形で残っても、離脱の道が法律で用意されている
- 買い手に雇用される形で残る場合、労働基準法第16条により、抜けたことへの違約金を定められない
- 譲渡対価の返還という形に置き換えても、実態によっては同じ規定に触れる。別の契約書に移せば済む話ではない
- 同条は労働契約についての規定なので、準委任型の業務委託や税理士法人の社員として残る場合はかからない。金銭で手当てできる範囲は、雇用がいちばん狭い
- 買い手にとっては、期間の長さより、その期間に何を引き渡してもらうかを決めておく方が確実
この記事は、条文と公表されている解説をもとに枠組みを整理したものです。実際にどう評価されるかは、関与の実態や条項の書き方によって変わります。特に、譲渡対価の返還を早期の離脱と結びつける設計について、税理士事務所のM&Aを対象にした裁判例は確認できていません。条項を設計する段階では、弁護士に相談してください。
監修
税理士事務所承継ラボ編集部(公認会計士・税理士)