最終更新日:2026-09-14
後継者候補の「もちろんです」を鵜呑みにしていい?承継意向の聞き方
事務所内の候補者に「継いでもらいたい」と伝えたとき、多くの場合、返ってくる答えは「もちろんです」「頑張ります」といった前向きな言葉です。しかし、その場での返事をそのまま信じて育成に時間とコストをかけた結果、いざ具体的な話になった段階で辞退される、あるいは静かに転職してしまう——というケースは、十分に起こり得ます。
この記事は、事務所承継を考え始めるタイミングとはで「道1(事務所内承継)」を選んだ方向けに、候補者の本音をどう確認していくかを整理するものです。
この論点は税理士業界に限った話ではありません。会社の経営者が、従業員の中から後継者を選んで事業を引き継がせたい場合にも、同じ構造の問題が生じます。中小企業庁の事業承継ガイドラインでも、後継者候補の能力・適性・年齢・意欲を踏まえた意思確認を早い段階から始め、実務の権限を段階的に委譲しながら数年単位で育成を進めることが、一般的な事業承継の実務として紹介されています。この記事で整理する内容は、そうした一般的な進め方を税理士事務所特有の事情(資格要件、顧問先との関係)に当てはめた一つの考え方であり、唯一の正解を示すものではありません。
その場で断りにくい力関係が、最初の返事を歪める
雇用されている側が、雇い主から直接「継いでほしい」と言われて即座に断るのは、心理的なハードルが高い行為です。本人が悪意を持って嘘をついているわけではなく、その場を丸く収めるための自然な反応として「もちろんです」が出てきている可能性があります。
さらに厄介なのは、本人自身も、打診を受けた時点では自分の本当の意向をまだ固めきれていないことがある点です。「継ぐこと」の実際の負担(資格取得、資金負担、経営責任、顧問先対応)を具体的にイメージできていない段階で「もちろんです」と答えることと、それらを一通り理解した上での「もちろんです」は、まったく別の重みを持ちます。
一度前向きな返事をしてしまうと、後から前言を撤回しづらくなるという心理的な効果も見過ごせません。所長が育成に本腰を入れ始めるほど、候補者側は「今さら断れない」という圧力を感じやすくなります。本音の意向確認は、一度の質問で終わらせるのではなく、負担を段階的に具体化しながら進めていくプロセスです。同じ質問を何度も投げかけるという意味ではなく、検討の材料(資格取得の負担、資金負担、実務経験など)が新しく明らかになるたびに、その時点での意向を確認していく、という意味です。
意向確認を難しくする3つの要因
- 力関係の非対称性:雇用主と被雇用者という関係がある限り、候補者側が自由に「NO」と言いにくい構造そのものはなくなりません。所長の側がこの前提を意識せずに「はい」を額面通り受け取ることが、最大のリスクです
- 本人の自己理解の不足:打診を受けた時点では、継ぐことに伴う負担(資格取得の勉強量、借入れ、家族の生活への影響)を具体的に想像できていないことが多く、時間の経過とともに答えが変わり得ます
- 後戻りのコスト:一度「継ぐ」と答えた後で撤回することは、所長との関係、他のスタッフからの見られ方など、候補者にとって相応の心理的コストを伴います。この後戻りのしにくさが、建前の「もちろんです」を固定化させてしまいます
候補者が本音を伝えやすくなる進め方
事前に合意した範囲で、一部の役割を経験してもらう
言葉だけでの意向確認に頼らず、本人と目的・担当範囲・期間・業務量・権限・処遇を事前にすり合わせた上で、無理のない範囲で一部の役割を実際に経験してもらう方法があります。ポイントは、本人の同意なく業務や負荷を増やし、その反応をひそかに評価材料にしないことです。本人の同意のないまま負荷を増やせば、指揮命令権の行き過ぎと受け取られかねないだけでなく、「断れば不利益になるのでは」という疑念を本人に抱かせ、かえって本音を隠す方向に働いてしまいます。経験してもらった後は、本人が感じた適性や負担感、続けたい気持ちの有無を面談で率直に聞き取ります。役割を断ったことや、負担を率直に申し出たこと自体を、承継候補としての評価を下げる材料にしてはいけません。
税理士資格の取得状況についても同様の注意が必要です。実際の勉強の進み方は、繁忙期の忙しさ、健康状態、育児・介護、経済的な事情など、本人の意欲以外の要因にも左右されます。そもそも資格取得は本人の私的な取り組みであり、業務命令として強制できる性質のものではありません。使用者の業務命令権は業務との関連性や手段の相当性が求められ、私生活の時間を大きく使う資格勉強を一方的に命じることは権利の濫用と評価されるリスクがあります。私生活の時間の使い方を所長が監視・詮索することは避け、本人の了承を得た上で、資格取得の意思・想定時期・仕事との両立に必要な支援を確認し、勉強の進み具合だけで承継意思の強弱を判断しないようにしてください。
なお、税理士業務を担う形で事務所を承継するには、税理士資格・登録が前提条件です。個人事務所であれば本人が税理士登録をしない限り開業税理士として事務所を引き継ぐことはできず、税理士法人であっても社員(パートナー)になるには税理士資格が必須です。この前提を早い段階で本人と共有した上で、資格取得の意思・想定時期を確認してください。
「正直に言っても不利益にならない」という前提を、範囲を絞って伝える
候補者が本音を言いやすくするには、所長の側から明示的に前提を伝える必要があります。ただし「今の時点で気持ちが変わっても、雇用や評価に一切不利益は生じない」というような無限定な約束は、実際の運用と食い違いやすくなります。伝えるべきは、承継の打診を辞退したことや、率直に迷いを伝えたこと自体を、雇用条件や通常の人事評価において不利益に扱わないという、対象を絞った約束です。これを実際の運用でも徹底し、就業規則や評価制度との整合に不安がある場合は、社会保険労務士等の専門家に事前に確認しておくことをおすすめします。
意向確認の頻度にも注意してください。最初の回答を急がせず、本人が希望する場合に限り、負担や条件が具体化した節目で改めて確認する、という形にとどめます。明確な辞退の意思が示された場合はそれを尊重し、本人からの申し出がない限り、同じ打診を繰り返さないことが大切です。雇用や評価に不利益がないと伝えても、期待する答えが出るまで何度も聞かれると感じさせてしまえば、それ自体が圧力になります。
負担を具体的に提示した上で、候補者側の意見も聞く
「継いでほしい」という抽象的な打診への回答と、「資格取得にはこのくらいの勉強量が必要」「事務所を買い取る資金はこの程度想定している」「経営者として顧問先対応の窓口になってもらう」といった負担を具体的に提示した後の回答とでは、重みがまったく異なります。負担を曖昧にしたまま意向を確認しても、建前の域を出ない回答しか得られません。
これらの条件は所長側から一方的に押し付けるものではなく、価格や支払条件、段階的な承継のペースなど、候補者側の意見や希望も聞きながら詰めていく前提であることを伝えておくと、率直な対話につながりやすくなります。回答を急がせず、必要であれば本人が家族や信頼できる人に相談する時間を確保することも検討してください。
確認しておきたい項目
「継ぐ意向があるか」という一問一答では、本音は見えてきません。次のような具体的な項目に分解して、それぞれについて時間をかけて確認していくことをおすすめします。
| 確認項目 | 見るべきポイント |
|---|---|
| 継ぐ意思そのもの | 抽象的な打診への回答ではなく、負担を具体化した上での回答かどうか。本人が思い描く将来像とも重なっているか |
| 資格・登録の見込み | 税理士資格の取得意思・想定時期。ただし勉強の進み具合だけで承継意思の強弱を判断しない |
| 資金負担への意向 | 買い取り資金をどう工面するか。負担のあり方は候補者側の意見も聞きながら詰める |
| 生活への影響の検討 | 収入・働き方の変化を本人が検討できているか。希望すれば家族と相談する時間を確保する |
| 実務経験への反応 | 事前に合意した範囲で一部の役割を経験した際の適性・負担感・続けたい意思 |
これらは一度にすべて確認できるものではありません。時間をかけて一つずつ確認し、途中の反応が芳しくない項目があれば、その時点で立ち止まって話し合うことをおすすめします。また、こうした面談で聞き取った内容は本人の了承なく他のスタッフへ共有しないなど、率直に話しやすい環境を保つことも大切です。
本音がNOでも、後から発覚するよりはよい
早い段階で本音を把握できれば、事務所内承継から第三者承継(M&A)への切り替えを検討する時間を確保しやすくなります。ただし、事務所の状況や所長自身の体力次第では、必ずしも十分な時間が確保できるとは限りません。
候補者本人への配慮も欠かせません。本音を伝えてくれたことを責めるような態度を取ると、その候補者だけでなく、周囲のスタッフにも「本音を言うと不利益になる」という空気が伝わり、今後の育成や採用にも悪影響が及びます。第三者承継を検討する場合の最初の論点は、事務所承継を考え始めるタイミングとはの「道2」で概観しています。
この記事の限界について
ここで整理した内容は、業界特有の力関係や心理的な構造、および一般的な事業承継の実務を踏まえた一つの考え方であり、唯一の正解ではありません。大規模な調査データや多数の実例に基づくものでもなく、候補者との関係性、事務所の規模、地域性によって、実際に効果的な進め方は変わってきます。ここで挙げた確認項目や進め方は、検討を始める際の出発点として参考にしてください。
まとめ
- 候補者の最初の前向きな返事は、検討途中の意思として受け止め、最終的な意思表示と決めつけない
- 本音の意向確認は、事前に合意した範囲での試行や、負担を具体化した対話を重ねながら進めるプロセス。頻度や終了条件を決め、明確な辞退は尊重する
- 資格・登録の見込み、資金負担への意向、生活への影響、実務経験への反応など、具体的な項目に分解して確認する。断ったことや迷いを伝えたこと自体を不利益に扱わない
- 早い段階で本音がNOだと分かることは、事務所にとってむしろ望ましい。第三者承継への切り替えを検討する時間を確保しやすくなる
監修
税理士事務所承継ラボ編集部(公認会計士・税理士)